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余命三ヶ月と言われ7年も生きたおっさん伝説@第四章

親父は医学的には旅たちました。

もーこの世にはいないのです。

でも海より深い悲しみの余韻に浸ることもなく喪主である

俺にはやるべき使命があるのです。






悲しみにの中まず

葬儀屋に連絡します。

数年前におばあさんが亡くなったときに

喪主である父が

「わしのときは おまえが喪主だから わしの隣にいてみとけ」

と言われていた。

俺は当然

おばあさん・・・・のときに葬儀屋に電話

すると 潰れてる




親戚の言う

はじめての葬儀屋に依頼する

親戚の友人がそこに勤めているようだ。

病室に来る時間を確認し

今度は故人の身支度 遺族は病室からだされ

浴衣がなければ病院から購入

さらに故人のアルコール洗浄や開いた口を止める作業・手を前に組む作業を看護師さんがやってくれる。


病院から支払いの話しを聞き

葬儀屋到着

病院から出る。


先生・看護師さんは寝台車まで見送ってくれる。

頭を下げた先生が

車が地平線の彼方まで・・・見えなくなるまで・・・・下げたまま送ってくれる。

これがまた一緒に戦ってくれた盟友との別れを思わせ 悲しみを誘う



ここから先は病院と違い保険で払えるものではない

すべてお金のかかる話だ。

寝台車1台17580円

いずれにしても遺体を運ぶには許可が必要なので葬儀屋でなければ駄目だが・・・

母は普通に車で運んだほうが安いとかノー天気なこと言ってる。

さすが 病室で映画「余命一ヶ月の花嫁」の話題に触れちゃうだけのことはある。

母強し!


葬儀屋に布団を敷いといてくれと言うので

敷いて待っていると

掛け布団をぺローンとはがされる。

その後、故人を防臭加工
布団に防水シート・防臭シート・布団に銀色のなにやら掛けカバー
枕飾り・ロウソク線香セット・小さい祭壇に盛り物
が葬儀屋によってなされる。


その後は葬儀屋と打ち合わせ

故人に「やっと帰れたね」

なんて悲しみの余韻に浸る暇も無く

喪主は段取りと予算組みの話しをせねばならない・・・・これがものすごい疲れとなる。

おばあさんのとき

親父が「なんでも普通にしてくれ」と言っていた。

俺も同じように交渉する予定であった。

しかし葬儀屋も商売 

「これが今時の松山式です」

なんて生意気のこといって応戦する。

あれほど自宅でやるってんのに祭儀場をすすめたり

全然意見があわねー

しかも高いし・・・・・・・・

一番困るのは

通夜・告別式には何人きて香典返しはいくつ用意します?

これだ!

何人くる?俺は東京の人間だし・・・全然わからん・・・・

そのとき役に立つのが前回亡くなった

おばあさんの芳名帳だ!

そこから見込みを出す。

葬儀代金の変動費は唯一

当日の香典返し これが予算に大きく反映される

安くてもだめ 高くてもだめ 数は多ければ後日 相殺請求

また葬儀後の弁当代

ここをケチると村八分になる。

もともと村で高齢者ばかりの地域なので葬儀の仕来りに特色もある。

ムラヤク(世話役)と言う仕来りがあり 当番で葬儀のお手伝いをするようだが

これがまた銭がかかる 香典受付や精進落としの際の弁当代

弁当っていっても5000円ぐらいの それで昼飯代とか

正直 人手はまにあってる・・・・全員で8人 

ただ葬儀代ケチっても ここケチると通夜すら総スカンとなる。

俺は仕切りのババーを怒らせたようだ。



俺が葬儀屋と終わることの無い打ち合わせをしていると

すでに故人を宴会がはじまってる

俺も参加してー



友引があり通夜は中二日かかる葬儀開始時刻は
火葬場の予約時間が決まらないと決められない
今日できる打ち合わせ おおよその予算をきめ 打ち合わせ完了


やっと故人とビールが飲める。

母は故人の顔に触りまくって泣きじゃくり

せっかく微笑みのままワセリンで口をとめて作ってくれた顔だったのに・・・・
お陰で口が開いた顔に戻ってしまった。

みなが寝静まって

俺一人
故人と酒を飲んだ。

一人で泣くのはいいだろう。



つづく
by jaguar.takahashi | 2009-06-05 14:27 | 未分類といいますか・・・
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