昨日も「新宿で13年って凄いねっ」て言われたんで
当店のエピソード100超えるエピソードの内の初期の頃の話を披露します。
ビデオ屋11年から鞍替えして経験のない飲食店に移行するときも大変でしたが
キャストも大変でした。一番は料理人、これは全般的に堅物が多くギャラも高額を
初期から請求してくる。中には面接の段階で怒って出て行く奴もいる。学歴もなければ
基本勉強もできないが絶対数が少ないのに需要が多い、常に慢性的に職人が足りない!
これが料理人なんです。経営者は猛獣使いになった気持ちで接しなければいけません。
初期の店舗コンセプトは内装コンセプト夕日(生まれ故郷の夕日、色温度高め)、フードコンセプトは
味噌で食べさす焼き鳥(味噌はオリジナでブレンド)、ドリンクコンセプトは100種の焼酎
、接客コンセプトはワインのソムリエ(焼酎を丁寧に説明していく)、
うちの現店長(中居)と料理人と私でマーケティングに行きました。名古屋発信の味噌焼き鳥の店
に!
あきらか八丁味噌ベースが塩辛すぎて東京の当時流行ったブランド鶏(当店では秋田比内地鶏)
には合わない!そこで当時の料理人が果実にブレンドした味噌で串ではなくお洒落にフレンチ風に
女性受けする皿で出そうと考えたのです。肉は赤味噌、白レバーは白味噌、キャベツには辛味噌
料理とメニュー開発を終え、いい感じでレセプションイベントを開催しました。
縁故関係よんでますのでレセプションはうまくいきましたがオープンしてからというものの全然、お客さんが
来ません。
すると料理人に私が深夜に呼び出されます。料理人泣いてます。「なんだ?相談って?」
「上がらせてください」(業界用語で辞めるって意味)これが最初の苦労エピソードです。
オープンして料理人がいない、売上0円、大事な時期にオープンして3日で辞めるって
どんだけ投げてんだよ・・・・今となっては笑い話ですが普通なら閉店の危機なわけです。
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百折不撓