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余命三ヶ月と言われ7年も生きたおっさん伝説@第七章

葬儀・告別式


ロウソクとお線香を絶やすことが無いようにしなければならないのに・・・・
母は気にせず親父の横で爆酔・・・・
通夜当日 泥酔した俺が親父の横で寝るのだが・・・・ドライアイスで冷え切って挫折・・・・気が付いたら朝
ベッドに寝てた。

失敗だらけの通夜につづき
今日が 今日こそが集大成 12:00スタートの葬儀にむけ
俺は早速寝坊
ネクタイ締めながら「うえ~」と嗚咽をしつつ うるさいぐらいに葬儀屋に呼ばれて打ち合わせしたり
プロフィールを述べる司会と打ち合わせ
さらに弔辞を述べる順番と名前のよび方 これが旧漢字で解読不能だったり 誰だか?特定できなかったりする 「死人にくちなし」じゃないけど「親父のことは親父じゃないとわからない・・・」に遭遇する。

同時に献花がきたり香典が郵便で届く・・・
協力なくして成り立たない・・・・



親父に置かれた守り刀があまりにもひどかったのでクレームを・・・と思ったのだが
いつのまに新品に換えられ
葬儀屋に枕団子のことで注意をうける。
さすが「松山式・・・・」

ものすごく神経質に事がすすむ
おばあさんのときとは少々違う。

寒いと思ってファンヒーターを用意すると
今度は熱い・・・となって足並みも揃わず・・・・当日のアクシデントもプチ勃発!

それが葬儀だ!

ただ
喪主経験者ならわかるが

日本の葬式は ほんと世界一だ!

亡くなった人間に こんなに時間とお金をかけ さらに先祖の供養もしっかりとやる。

間違いなく世界一だ と思った。



さて葬儀・告別式 開始

昨日と勤行をやる人が違うようだ!

昨日のエンドレス南無妙に備え
足がしびれないように正座の下に入れ込む高さ10Cmの椅子を仕込む 万全

さらにバチン!と鈴を叩かれても驚かないように 心の準備

さーバチコンこいや!

ん!

今日はバチコンなし?・・・

やわらから鈴

昨日の方 ならではだけであった・・・・俺はこっちのほうがいいな・・・・






回し焼香が始まる
俺だけは喪主なので代表焼香

このころに薄っすらと悲しげなBGMとともに親父のプロフィールをプロの司会者が
述べてくれる。
悲しい声で述べられるのでさらに悲しみと
数日前の親父の顔・・・・死に際の奇跡が思い出される。
その後に幼少時の親父との思い出 様々な出来事 故人を偲んで偲びきれないぐらいの思い出が
回想される。

外の庭に参列者は血縁の遠い人もしくはまったく他人が座る。
外の焼香には妹が挨拶をする。


南無妙も焼香が終わると速やかに終わる。
今回はエンドレス・・・・ではない!
高齢者が多いのでこれぐらいが丁度よい。

締めくくりは

喪主挨拶

以下 引用

本日は、お忙しい中、
父トシテルの葬儀にご参列たまわりありがとうございました。
 
家族を代表いたしまして長男裕紀が挨拶させていただきます。
  
 父は生前からとても短気な人間でした。
エレベーターさえ待ってないほどせっかちでした。私と妹福子が小さいころは
よく意味もなく殴られ今思えば消して満点な父ではありませんでした。ただその反面正義感も強く包容力もあり面倒見は人一倍ありました。
仕事に頑張る父をみて尊敬もしていました。
私が高校生のころ東京でボクサーになると話したときも何も言わず応援してくれました。
「試合には都合が悪いからいけないぞ」といいながら影で試合会場で声援をおくってくれる優しさもありました。

妹福子が結婚するときには「日本一盛大な披露宴にする」と俳優までよんで
言葉通り盛大なものになりました。そして孫のタツキチ・コタロウが生まれたときには
大変喜んでいたと聞いております。




家族でハワイに行ったできごとです。
みんなで休憩をしていると父が突然いなくなりました。
すると全身カーボーイの格好で現れたのです。外人の店員さんにすすめられ乗馬場で買ってしまったようです。ユーモアのセンスは天然でかわいいところもありました。


そんな父が数年前
長年お世話になった千葉の君津で選挙に立候補したときがありました。
父がかかげたスローガンは「福祉」でした。
私自身、何故「福祉」だったのかわからなかったのですが
先日、実家を訪れたときにはじめて選挙のビデオをみましたら
その答えがわかりました。
父の弟、のりおは重度の知的障害者でした。祖父(そふ)が無くなるとき
父にのりおのことをたくしました。
正直なとこと千葉と松山ではなにもしてあげることもなく
のりおも亡くなりました。
父のなかで「なにもしてやれなかった・・・」後悔の念が積もり
なんとか「福祉」をスローガンに選挙に立ったようです。


志半ばで病が襲ったのですが
常にあきらめることなく仕事をしておりました。


最後に父とかわした言葉ですが
重たい体を起こして財布から2万円を出して私にくれようとするのです。
父にとって私は常にガキなのです。
そして親戚でありますユキヨシさんと有名な鯛そうめんを食べて帰れというのです。

私は父の子でよかたなと心から思います。

最後に
残された母かねこが今後この広い家で一人暮らしとなります。
千葉での暮らしが長くまだまでこちらでは不慣れな点がございますが
なにとぞご協力のご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。



以上の挨拶を済ませ
俺の中で一山終わる。




つづく
by jaguar.takahashi | 2009-06-08 01:42 | 未分類といいますか・・・
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