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「蝶のように舞い蜂のように刺す」

先日から
ものすごい不運に見舞われている。
もー何度もみているが映画「T2」
そして深夜にやっていた「Ali」

ビデオに録画していたが残り20分を残し。。。
撮れてない。

なんつーだろ。。。
そりゃもー放心状態。。。。
ムカつくこえると何もしゃべれねー

俺はT2の最後で泣きたかったつーの!

それと「Ali」もともと
モハメド・アリ自体知ってるとはいえ最後に「像をも倒すフォアマン」にワンツーで倒すシーンが見たかった。
漫画の世界を地でやってのけたのは「Ali」だけである。

もともと彼のボクシングスタイルは
シュガー・レイ・ロビンソンが最初だ!
今でこそ多いボクシングスタイルもあの時代にやってのけたのは
私がドラゴン・ボールの「カメハメ波」を放つようなものだ!


今時の人は「モハメド・アリ」を知らないのではないか!?

アパルトヘイト(人種隔離政策)
徴兵制度
自由との戦い
貧困問題
日本の軟弱者達はもっと知るべきなんだ!

おっと映画の話からそれたゼイ!ウェイ!
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モハメド・アリ (Muhammad Ali)
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ケンタッキー州ルイズヴィル出身。旧名はカシアス・クレイ(Cassius Clay)。

子供のころに自転車を盗まれたことからボクシングをはじめる。

1960年のローマオリンピック、ライトヘビー級金メダリスト。その後プロに転向してヘビー級タイトルを獲得、その直後にブラックムスリムの信徒であることを公表して、リング名をムスリム(イスラム教徒)名のモハメド・アリ(使徒ムハンマドとアリーに由来)に改めた。

アリはアメリカ社会に批判的な言動を繰り返し、ベトナム戦争への徴兵を拒否したことから無敗のままヘビー級タイトルを剥奪され、4年間試合を禁じられたが、復帰後、実力でタイトル奪還を果たした。そのボクシングスタイルはヘビー級という最重量級に華麗なフットワークによるアウトボクシングを持ち込んだもので、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と形容された。このボクシングスタイルに関してはシュガーレイ・ロビンソンの影響を指摘する声もある。また、アリと常にコンビを組み、後にはシュガーレイ・レナード?を育てた名トレーナー、アンジェロ・ダンディーの存在も特筆すべきものである。アリの活躍はベトナム戦争、黒人解放運動といった1960年代のアメリカ社会の背景を抜きにしては理解できない。

現在は、パーキンソン病に苛まれ闘病中でもある。

七女であるレイラ・アリもプロボクサーとして活躍中。
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■略歴
1960年 プロデビュー。

1964年 ソニー・リストンを7ラウンドTKOで倒し、世界ヘビー級タイトルを獲得。9度防衛。

1967年 世界ヘビー級タイトルを剥奪。

1971年 ジョー・フレージャー?のもつ世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、判定負け。

1974年 ジョージ・フォアマンを8ラウンドKOで倒し、世界ヘビー級タイトルを獲得(キンシャサの奇跡)。10度防衛。

1975年 アントニオ猪木と異種格闘技戦を行う。結果は時間切れ引き分け。

1978年2月、レオン・スピンクスに判定負けし、タイトルを失う。

9月、レオン・スピンクスに判定勝ちし、タイトルを奪回。(3度目の返り咲き)

1980年 ラリー・ホームズに11ラウンドTKOで敗れ限界説が流れるも、復帰。

1981年 後の世界チャンピオンになるトレバー・バービック?(マイク・タイソンの挑戦に敗れ、タイソンの最年少ヘビー級チャンピオンを記録を作ったときの相手で、後にプロレスで高田延彦と闘う)に敗れ引退。


エピソード
アリ、フレージャー、フォアマンはいずれもオリンピックの金メダリスト(アリはライトへビー級、フレージャーとフォアマンはヘビー級の金メダリスト)であり、オリンピックチャンピオンがプロでも活躍するという流れがこの当時続いていた。アリと同様、ライトヘビー級で金メダルを獲得したスピンクスがアリに挑戦し、番狂わせでタイトルを獲得したが、アリは再戦で王座に返り咲き、史上初めて、3度チャンピオンシップを獲得したヘビー級ボクサーとなった。
終生のライバルとなった、ジョー・フレージャーとは3度対戦して、2勝1敗であった。特に、"Thriller in Manilla"と命名された3度目のフィリピンでの対戦は、両者死力を尽くし、形勢が何度も逆転した名試合であり、ボクシング史上最高の試合の一つと言われている。
ケン・ノートンとの闘いでは、あごの骨を砕かれながらも最後まで戦い抜く死闘を繰り広げた。
アリのテーマソングである「アリ・ボマイエ(ボンバイエ)」は、1976年に異種格闘技世界一決定戦を戦ったアントニオ猪木に記念品として寄贈され「猪木ボンバイエ」として歌われている。
現在は娘のレイラ・アリがプロボクサーとして活躍している。WBC女子スーパーミドル級の初代チャンピオン。

キンシャサの奇跡タイトル剥奪後、ジョー・フレージャーに挑戦、初めての敗北を喫したが、3年後、フレージャーにかわり新王者となっていたジョージ・フォアマンに鮮やかなKO勝ちをおさめ、王者に返り咲いた。 この挑戦試合はアフリカのザイールで行われ、"Rumble in the jungle"というタイトルがつけられていた。当時、一般には全盛を過ぎたと見られていたアリが史上最高のハードパンチャーと目されたフォアマンを破ったため、「キンシャサの奇跡」とも呼ばれる。 この試合でアリはたくみに相手のパンチをかわし、空振りさせることでフォアマンの体力と精神を消耗させる一方、ロープを利用して自らの体力は温存するというクレバーな作戦をとり、見事な勝利をおさめた。アリはこの戦法を"rope a dope"と名づけた。

ただし、以降の防衛戦でこの戦法を多用する一方、対戦相手のパンチを被弾することも増加していったため、後年のパーキンソン病の遠因ではないかとする説がある。
by jaguar.takahashi | 2006-04-17 10:49 | 個人的見解
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